言葉が生まれるとき

この度、四月に第二子を出産し、一ヶ月ほど経った。
夜中に陣痛が始まり、明け方に生んだ超スピード出産。その日は横になりながら、この10か月ほどの妊娠期間のことが走馬灯のように頭を巡り、一日中、身体にやり切った感が満ちていた。
穏やかだった入院期間を終えて、退院。赤ちゃんを連れて自宅に戻った。

二人目となると、一人目を育てた経験から、ああ、これは一度通った道、と多少余裕をもって子育てを楽しめる部分がある。ただ、二人目を育てる、ということでの「初めての経験」もある。上の子の赤ちゃん返りだ。
今まで一人天下だった3歳の上の子は、突然現れた赤ちゃんの存在を実に複雑な感情をもって受け止めているようだ。

まだ私と赤ん坊が入院中、会いにきたときは「赤ちゃん、大好き」と抱きしめたり猫なで声で呼んだり、なでたりして愛でていた長男だったので、安心していた。赤ちゃん返りするって噂には聞いていたが大丈夫そうだな、と。
しかし、自宅に戻ると、彼の変化は明らかだった。
イヤイヤ期の再来である。外から帰って、手を洗わないと言い張る。食事中に席から離れ食べない、そもそも席につかない。風呂に入らない、と激しく抵抗。
気に入らないことがあるととにかくヤダヤダと足や手をジタバタさせる…。
どうしちゃったの!?今までできてたことがなんでできなくなっちゃったの?
始めはあっけにとられつつ、努めて冷静に接しようとしたが、さすが産後、寝不足もあっていらいらを隠し通せず、叱り飛ばし泣かせることも多々あった。

このままではあかーん!
ネットで赤ちゃん返りを検索したら、もう、出るわ出るわ、うちの子のような行動に悩まされている親の相談がわんさか寄せられていた。やはり典型的な赤ちゃん返りだったのだ。
そして、厳しく怒るなど、最もしてはいけない対応をほとんどやっていた自分。早めに気づいてよかった……。

解決方法としては、
子どものありのままを受け入れる。
甘やかしてやる。
上の子優先で。

というようなことがだいたい書かれているが、
あ、受け入れればいいのね、簡単だわ、

なーんてそんなうまくはいくわけない。
脅しやおだて、なだめすかしのあの手この手をつかいながら、彼の気持ちを受け止めようと努める日々。
タイミングが悪いと兄弟二人でワーワー泣かれる、修羅場となる。
寝かしつけも一大イベントだ。

一日の仕事を終えて、布団のなかで眠りかけているところを
「ねえ、ちょっと、言葉はどこから作られる?」
と夫がぶしつけに問いかけてきた。
「え、その…、えと…、頭のなか…?」
半分眠りながらの状態で答えると、
はー、
と、夫の大きなため息が聞こえた。

確かにいまいちな答えをしたなと思いつつ、
「なんや、違うんか?」と夫に問い返す。
「あのねえ、我思う、ゆえに我あり、って、いつの時代だよ、コギトかよ!」
「コギト……。」
「言葉って言うのは、人との関係性から生まれるよね、人間は社会的生き物だからね。マルクスが言ったのは、言語が育成するのは、まずは他の人間たちとの交通の欲求、必要からだ、ってこと」
マルクスっていうのは単に共産主義革命を説いているわけじゃなくて、哲学として深いものがあるんだ、と最近熱心に、『今こそマルクスを読み返す』(廣松渉著 講談社現代新書)を読むことを勧めてくる夫はうんちくを語り始めたが、私の頭の中は最近あった別のことを思い浮かべていた。

ある日、食事時に席につかない子どもをつかまえて、つい強い口調で言ってしまったことがあった。
「前まできちんと座って食べてたでしょう。自分で食べてたでしょう。なんでそんなに困らせるの。どうしたの。」

すると息子は目に涙をためて言った。
「しょーちゃん、おなかペコペコで、全然食べられないの。ここがいっぱいになって食べられないの。」
じっと目を見ながら言われ、私は一瞬言葉を失った。
「……ペコペコっていうのは、おなかが減ってるときに使う言葉だからね。言いたいのはおなかがいっぱいで食べられないっていうことでしょ?」
「うん。」
「ちゃんとママに気持ちを教えてくれてありがとう。これからもたくさん話してね。」
「わかったよ。あんまりしょーちゃんを困らせないで!」
最後の、いつもの私の口癖を真似た言い方にずっこけそうになる。

彼は弟に対しては大抵、優しい。
赤ちゃんが泣いていると、大丈夫、大丈夫、と一生懸命あやしている。大好き、とギュッとしている。
でも私が授乳していると嫉妬にかられて授乳クッションを引っ張ってくることもある。私と遊んでいるときに弟が泣いて遊びが中断され、「早く、早くして」とむくれた表情であやしてる私の服を引っ張っることもある。
3歳の身体で、様々な感情を抱えているのだろう。
弟が来たという環境の変化にいろんな思いがあふれていて、食べ物を食べる気持ちになれないのかもしれない。
しょーちゃん、おなかペコペコで食べられないの。
その言葉が生まれた瞬間は、私にとって大変まぶしかった。

こんなこともあった。ある日、トイレに座るなり、
「ママ、ウンチが、水族館のイルカみたいにバシャッと飛び出したよ!」

先日パパに水族館に連れて行ってもらったところだった。
経験が内在化して、外部からの刺激によって(外部との関わりによって)言語となり飛び出すとはこういうことか。
彼の生み出す言葉はいちいち面白い。

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