ピノコのこと
私のお客さんのひとりに、60代半ばの女性がいる。
守秘義務を守るため、ピノコと密かに命名する。ブラックジャックの助手の少女の名を借りてのとおり、少女のように奔放で、気難しく、機嫌を損ねると手がつけられない。そう、ピノコは私の「鬼門」なのである。
精神障害を併発していることもあり、事業所のなかでもかなりの問題児で、研修で初めて彼女に接したとき、先輩のヘルパーさんが、「あまり、言われることを本気で真に受けて、気にしすぎないほうがいいです」と私に囁いたことがある。
とにかく、最初は何を言っているのかまったく聞き取れなかったが、彼女が何を言っているのかをようやく最近わかるようになってきた。しかしわかるようになってきた分、気に病むことも多くなってきたのである。
急に半狂乱になって切れだしたり、だだをこねたり、今さら私がヘルパー2級をとるべく勉強しだしたのもこのピノコとどう接していいかわからず、わらをもすがる思いに駆られたせいである。
トレーナーに描かれたミッキーマウスの絵が怒っているみたいでやだ、とか、次の日の服を決めるのに30分くらいかかったり、突然、私のことを恐ろしいと思っているんでしょ、と泣き出したり、なんだか、ピノコの介助をしたあとは疲労困憊になっている。
そんなピノコの入浴介助は私にとって、かなりの重荷だ。
耳が悪くて補聴器をつけているくらいだから、こと耳に関してはデリケートで、身体、頭を洗う時は耳に水を入れないよう自分の手で壁をつくって気をつけなければならないのだが、この前うっかり耳に水を入れてしまったからさあ大変。「こんなへたくそなヘルパーに遭ったことない」だの、散々罵倒される始末。
あとで乗ったエレベーターでも、私が先に降りて、ピノコが電動車椅子を自分で動かして出てくるのを待っていたが、なぜかピノコはもたもたしている。エレベーターのドアがしまりかけたところでちょうどピノコが動きだしたために、車椅子にエレベータのドアががん、とぶつかってしまった。「今度はエレベーターですか」とこれまた機嫌を損ね、私としてはなかなか動こうとしないピノコの心理状態を憤慨したいのだが、まあ、あやまるしかなかった。
あんまり謝ってばかりいるのもしゃくにさわるので、ピノコをベッドに寝かせて電気を消す前、「色々教えていただいて、ありがとうございました」と言ってみた。
するとピノコが、「いえいえ、こちらこそうるさく言ってすみませんでした」とぼそっと殊勝なことを言う。
私はそんな言葉がピノコから出てくるとは予想だにしなかった。それまでの確執がふっとぶくらい新鮮に感じた。
ヘルパー二級のテキストに、「生涯発達の視点」という項目がある。
人間はその命の終わりまで変化しつづけることの出来る存在である、ということを認識すべきである。これを「生涯発達」といいますが、それは人との関係で実現されるものです。「人とのかかわりを通じて、人は成長・変化する」ということを、ホームヘルパーは「プロとして自覚と学習」する必要があるのです。
同時に、このプロとしてのホームヘルパーのかかわりは一方的なものではなく、利用者からの何らかの働きかけのなかで展開されるものであり、その意味で、ホームヘルパーは利用者によって生かされるのであり、この相互の関係を理解することが大切です。
そのときほど、この記述の意味を真剣に考えたことはなかった。
私もピノコのおかげで、ずいぶんとものを考えるようになった。
老いて、身体が動かなくなるいうことの恐怖。周りに理解されない言動、行動をとる心理。
自分のことをわかってくれている人がいないことの孤独。ただ単に、求められることをやるのではなく、ピノコにとって生きていく上で本当に必要なものは何なのか、ということを思うようになった。
しかしながら先日も、風呂場での着替えを雑にやってしまったせいか、「本当にヘルパーなのか、シンジラレナイ」との指摘をいただき、やはりピノコとの付き合いは一筋縄ではいかないことを思い知り、ため息をつく次第である。
守秘義務を守るため、ピノコと密かに命名する。ブラックジャックの助手の少女の名を借りてのとおり、少女のように奔放で、気難しく、機嫌を損ねると手がつけられない。そう、ピノコは私の「鬼門」なのである。
精神障害を併発していることもあり、事業所のなかでもかなりの問題児で、研修で初めて彼女に接したとき、先輩のヘルパーさんが、「あまり、言われることを本気で真に受けて、気にしすぎないほうがいいです」と私に囁いたことがある。
とにかく、最初は何を言っているのかまったく聞き取れなかったが、彼女が何を言っているのかをようやく最近わかるようになってきた。しかしわかるようになってきた分、気に病むことも多くなってきたのである。
急に半狂乱になって切れだしたり、だだをこねたり、今さら私がヘルパー2級をとるべく勉強しだしたのもこのピノコとどう接していいかわからず、わらをもすがる思いに駆られたせいである。
トレーナーに描かれたミッキーマウスの絵が怒っているみたいでやだ、とか、次の日の服を決めるのに30分くらいかかったり、突然、私のことを恐ろしいと思っているんでしょ、と泣き出したり、なんだか、ピノコの介助をしたあとは疲労困憊になっている。
そんなピノコの入浴介助は私にとって、かなりの重荷だ。
耳が悪くて補聴器をつけているくらいだから、こと耳に関してはデリケートで、身体、頭を洗う時は耳に水を入れないよう自分の手で壁をつくって気をつけなければならないのだが、この前うっかり耳に水を入れてしまったからさあ大変。「こんなへたくそなヘルパーに遭ったことない」だの、散々罵倒される始末。
あとで乗ったエレベーターでも、私が先に降りて、ピノコが電動車椅子を自分で動かして出てくるのを待っていたが、なぜかピノコはもたもたしている。エレベーターのドアがしまりかけたところでちょうどピノコが動きだしたために、車椅子にエレベータのドアががん、とぶつかってしまった。「今度はエレベーターですか」とこれまた機嫌を損ね、私としてはなかなか動こうとしないピノコの心理状態を憤慨したいのだが、まあ、あやまるしかなかった。
あんまり謝ってばかりいるのもしゃくにさわるので、ピノコをベッドに寝かせて電気を消す前、「色々教えていただいて、ありがとうございました」と言ってみた。
するとピノコが、「いえいえ、こちらこそうるさく言ってすみませんでした」とぼそっと殊勝なことを言う。
私はそんな言葉がピノコから出てくるとは予想だにしなかった。それまでの確執がふっとぶくらい新鮮に感じた。
ヘルパー二級のテキストに、「生涯発達の視点」という項目がある。
人間はその命の終わりまで変化しつづけることの出来る存在である、ということを認識すべきである。これを「生涯発達」といいますが、それは人との関係で実現されるものです。「人とのかかわりを通じて、人は成長・変化する」ということを、ホームヘルパーは「プロとして自覚と学習」する必要があるのです。
同時に、このプロとしてのホームヘルパーのかかわりは一方的なものではなく、利用者からの何らかの働きかけのなかで展開されるものであり、その意味で、ホームヘルパーは利用者によって生かされるのであり、この相互の関係を理解することが大切です。
そのときほど、この記述の意味を真剣に考えたことはなかった。
私もピノコのおかげで、ずいぶんとものを考えるようになった。
老いて、身体が動かなくなるいうことの恐怖。周りに理解されない言動、行動をとる心理。
自分のことをわかってくれている人がいないことの孤独。ただ単に、求められることをやるのではなく、ピノコにとって生きていく上で本当に必要なものは何なのか、ということを思うようになった。
しかしながら先日も、風呂場での着替えを雑にやってしまったせいか、「本当にヘルパーなのか、シンジラレナイ」との指摘をいただき、やはりピノコとの付き合いは一筋縄ではいかないことを思い知り、ため息をつく次第である。
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