そういう素敵なものでは

いやはや、人生でこれほど早く駆け抜けた一週間があっただろうか、というくらい、
この一週間は飛ぶように過ぎた。
ちょっと待ってくれ、とカレンダーを見て泣きたい気持ちになる。
ヘルパー二級の講習と、次の公演の稽古開始、劇団員ニッシーの結婚パーティの準備、諸々が重なり、
そういうときに限って、夜勤が続けて入っていたりして、
とりあえずパーティが済んだつかのまの休みに、呆然としている。

なかんずく、このニッシーの結婚パーティの余興に関しては情熱を傾けていたので、
手作り感溢れるいい雰囲気の会になって、ほっとしている。
人の結婚にまつわるイベント事に関わることが近年とみに多くなってきており、
今回また、経験値が上がった手応えを感じている。
その経験値アップが私の人生において果たしてどれほどの意味のあるものかは謎であるが…。
そのほかにも、知人の「生まれました!」や「子供できました!」というニュースが飛び交い、
何度もおめでとうを叫ぶ一週間だった。

7月末の劇作家協会主催の月いちリーディングの懇親会のとき、前に座っていた中年の女性が、
「清水さんの芝居、燐光群でやったやつ、二個とも見ています」
とうれしいことを言ってくれる。劇作家協会のセミナーの受講生の方だという。
お礼をいうと、「本当をいうと、あなたと私と、どう違うのか、勉強しようと思って行ったんですよ」と彼女は言う。

主婦で、子育てを終えたので、今、カルチャーおばさんというのではないけど、
もういちど劇作家として、自分の作品が上演される、という夢をかなえるために、
講座を受け始めたのだと言う。
あなたがうらやましい、という彼女。なんでやねん、と思いながら、
「しっかりと地に足ついた生活を築いてきた人は、そうでなければ描けないものをつかんでいる気がする。
その重みがうらやましい。」
でたらめで不規則で自分ひとりだからまだ成り立つぎりぎりの生活を送っているという負い目のようなものを感じている私がそんなふうに話すと、
「そういう素敵な話ではないんですよ、自分は」
と彼女は言う。

彼女は35歳までとある劇団の文芸部に所属し、
作家としてなんとかやっていこうと思って頑張っていたが、
いつも、「秀作だが、上演には至らない」と言われて、
くやしい思いをしていたのだという。
それで、ふと不安になったときに、お見合いをして、結婚して、子供ができて、
そうなったら子育てに忙しくて、芝居のことを考えることもなくなっていったのだという。
それで、子育てが一段落した今、もう一度頑張ってみよう、と講座を受け始めた。

「そういう素敵なものでは、ないんですよ」
私の生活も、と思う。
何かをとれば何かを失う。
自分にないものをもっている人は立派に見える。

じぶんのスケジュール帳を眺めていると、
「人間は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう」
というヴィクトール・E・フランクルの名著「夜と霧」の一節がメモってあって、
ああ、一瞬一瞬を本番として生きなければ、でなければこの調子で人生が終わってしまう、とため息をつく。
その次のページに、同じ「夜と霧」の一節で、
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」
というのがメモってあり、
なぜ生きるかを早く知りたいと思うこの猛暑の日。

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